養老孟子氏のコラムにて
2024.11.01
いつもお世話になっております。
上田建築工房の上田です。
最近はだいぶ秋らしく過ごしやすい季節となってまいりましたが、
皆さまお変わりはないでしょうか?
さて、今回のブログでは『バカの壁』の著者、
養老孟子氏のコラムを読んで思ったことを書きたいと思います。
養老氏のコラムには、子育てをする親として参考になる考え方が示されており、
その中に「経験もお金も力もない子どもが持っている財産は一切何も決まっていない未来」と書かれているのを読み、昔のことを思い出しました。
幼少期の私は家が貧しかったため、小学4年生から高校2年生まで、
暑い日や寒い日、雨の日、雪の日など辛い中でも、朝早くから新聞配達をしていました。
配達先は上り坂の多い新見高校から旧老人ホームまでで、
体力がつき、兄や弟が腰痛で嘆いていても、私の体は丈夫になりました。
7年間の新聞配達で、お金の価値と毎日の積み重ねは嘘をつかないことを知りました。
また、高校1年生の時、友達から誘われた深夜のガソリンスタンドのアルバイトでは、
新聞配達の1カ月分の給料を1日で稼げることが分かり、労働の価値を実感しました。
ちなみに、私がアルバイトをしていたガソリンスタンドは、
当時、中国地方の高速道路がまだ中国自動車道しかなかった時代。
そのスタンドは50~70億円近い売上を誇り、
お盆の3日間だけで1,000万円以上を稼ぐほどの規模でした。
私が初めて店長から1,000万円の現金を持たされた場所でもあり、
バブル経済の真っ最中でした。
高校生の時、就職か進学か悩んでいた時に、「進学したい」と先生に相談すると、
その学校のことを調べてくれて、三者面談の時に入学金について母に提示しました。
すると母は、『あんた、こんなお金、どこにあるん?』と恥ずかしげもなく言い、
先生の前でもいつもと変わらない母に、嬉しくも恥ずかしく思ったことを覚えています。
その経験が今、大いに役立っています。
コラムを読み進めると、「苦労して偉くなった人が奨学金をつくる不思議」と書かれており、「自分は若いときに苦学して大変だったから、若い人が勉強するために奨学金を出してやる。しかし、自分が貧乏して苦労して偉くなったのだから、若い者も俺と同じようにしろとはなぜ言わないのだろう」と続きます。
親が子供を構いすぎると、子供が経験する機会を奪うことになるのです。
昔、娘が岡山に遊びに行くからとお金をせがみましたが、
働かずにお金をもらうのはおかしいといつも言っていました。
すると娘は、「他の友達は1万円もらった」と言い、すぐに他人の話をします。
よそはよそ、うちはうちのやり方がありますが、親が子供にお金をあげる行為は、
考え方によっては、働く意義や、働いて得られるお金に対する感謝の気持ち、
さらにはその気づきを奪ってしまうことがあると私は思います。
私たちの軽率な行動が将来の日本を駄目にしないよう、
考えていかなければならないと感じる今日この頃です。
すべてに感謝